学校だけじゃない「学び」の機会、 映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』主人公の小林空雅さんと語り合う

『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』7月24日からアップリンク渋谷で劇場公開が始まりました。

THEMEDIAでは、本作の主人公である小林空雅さんと高野慎太郎さん(自由学園教諭)との対談を企画。

今回は第一弾として、「学び」をテーマにお話をしていただきました。

高野さん(以下、高野) やっぱり、学校だけが学びじゃないと僕は思っているんです。学校が学びを独占してしまうと、学校に合わせられなくて苦しむ人が出てくる。家庭にも、映画館にも、どこにでも学びの種はあって、学ぼうとしたところが学びの場なんだということですね。学校教員だからこそ、このことは声を大にして言いたいと思います。こうした意味で、空雅さんの生き方や価値観はどうやって作られたのか、すごく関心があります。まずは、空雅さんにとって「学び」ってなんですか?という質問からしてもいいでしょうか。

空雅さん(以下、空雅) 経験全てが学びだと思っています。それはさっき先生がおっしゃっていたように、学びは学校だけではないという感じです。むしろ、学校以外の場所での経験が学びになったという気もしていますね。

高野 「経験」ということがキーワードになりそうですね。いま振り返って、いまの空雅さんをつくっているなと感じるのは、どういったところでの学びや経験でしょうか。

空雅 甲乙つけがたいですけど、ここで学んだことは大きいなと感じるのがいくつかありますね。たとえば、小中学校の頃に習っていた合気道の道場だったり、中学校の時の部活だったりします。

高野 なんの部活だったんですか。

空雅 演劇部とよさこいソーラン同好会に入っていました。あとは小学校高学年のとき、学校にあまりいけなくて引きこもっていたときに見ていたアニメとかも、いまの自分に影響していると思いますね。

高野 ああ、ドラゴンボールとかですか。

空雅 そうですね、アニメの内容というわけではなく、引きこもってアニメを見ていた時間が大事だったように思いますね。

高野 なるほど、家にいたのはいつごろでしたか。

空雅 小学校高学年くらいから中学2年生までです。

高野 そうでしたか。学校に行かないでアニメを見ていたという経験が空雅さんに影響を与えたというのは、とても素敵な話だなと思いました。そのあたりを伺いたいのですが、お家にいたときに、どんなことを感じていたとかいま覚えているものはありますか。

空雅 学校からは時間割をもらっていたので、時間割を眺めながら「今頃みんなは国語の時間かー」とか思ったりしていました。もちろん、家ではアニメを見ていたので、勉強遅れちゃうかなという心配もありました。でも、いろいろと自分で考える時間が取れていたんだなと思います。私はずっと学校に行っていなかったというわけではなくて、週に1、2回は学校に行っていたので、時々学校に行ってもみんな話してくれるし、仲間外れになるということは特になかったです。たぶん、もし仲間外れになっても…(笑)

高野 大丈夫だという…。おそらく、そうだと思うんですけど(笑)

空雅 いつ頃からだったか、学校に行かなくても、勉強ができなくても、こうやって生きていられるなと感じるようになって。その頃から「みんなと足並みを揃えて」ということに重きを置かなくなったのかなと思いますね。

高野 「みんなと同じようにしなくてもいいんだ」、「学校に無理して行かなくてもいいんだ」ということを自分で感じ取ったのは素晴らしいことだと思いますよ。いま、不登校で苦しんでいる子どもや家庭にとって重要なのは、どうすればそういう感覚を持てるかということですね。空雅さんは、どういうふうにして、そういった感覚を手にしたのですか?

空雅 私も最初のうちは、「学校は行かなきゃいけない」と思い込んでしまっているところがありました。とくに、サボるという行為は「よくないこと」なのだという固定観念がありました。サボりということは良くないこととされますけど、私はそれはよくないとは思いません。例えば、飲食店とかでアルバイトをしていると、シフトを2人で回さないといけないときもありますね。そういう時に、私が急にサボったら、それは確かにいろいろな人に迷惑をかけてしまうので良くないと思います。でも、学校をサボったところで困るのは自分だけなのかなと思いました。すごく世間体を気にする親とかだったら親にも迷惑をかけると思いますけど、うちはそうではなかった。

高野 お母さんは、空雅さんに対して「学校に行きなさい」とは言わなかったんですよね。学校に行かないときは、お母さんとはどんなコミュニケーションをしてたんですか。

空雅 最初のうちは、お母さんには「お腹痛い」とか「頭痛い」とか言っていました。母は「そうなのね」という感じで、休むこと自体をとがめられることはなかったですね。

高野 こういう場合に、「学校に行きなさい」と親が言ってしまって、家庭内で子どもが孤立してしまうこともあります。どうしてお母さんは、そういった毒親にならなかったんだと思いますか。

空雅 うちの母は、私を疑わなかったですね。ある講演会で母自身が語っていたのですが、「本人が痛いというなら、そうなんだろうし、それが本当か嘘なのかどうかは私にはわからない」という立場でした。

高野 なるほど。嘘でも本当でも、あなたが言ったことを私は信じたいという関係ですね。こういう親子関係は素敵だと思います。

空雅 そうですね。

高野 鶴見俊輔さんが書いていた、ある親子のやり取りを思い出しました。その子どもは万引きがひどかった。父親も学校も手を焼いて、さじを投げた。それでも母親は、子どもが万引きしてきたのを見ては、お店に謝りに行って盗んだ分のお金を支払い続けていた。それで、ある時、母親が言うんですね。「これからも盗みたいなら盗みなさい。ただ、盗んだら必ず私に言いなさい」。この関係だからこそ通じる言葉というのがあるという気がします。それは、道徳的な良し悪しの関係を超えたところにありますね。

対談者プロフィール

小林 空雅
Takamasa Kobayashi
13歳のときに心は男性、生物学的には女性である「性同一性障害」と診断される。
17歳のときに出場した弁論大会では、700人もの観客を前に、男性として生きていくことを宣言。
そして弱冠20歳で性別適合手術を受け、戸籍も男性に変えた。ドキュメンタリー映画「ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間」主人公
高野 慎太郎
Shintaro Takano
1991年、埼玉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学院修了。現在、学校法人自由学園教員(国語科)。埼玉県川越市社会福祉審議会委員、東京都東久留米市図書館協議会委員を兼任。過去に、埼玉県地域保健医療・地域医療構想協議会委員、埼玉県歴史と民俗の博物館協議会委員・博物館評価委員会委員、早稲田大学高等学院助手(情報科)などを歴任。

対談は全3回に分けて掲載します。
次回は8月中旬を予定しております。
公開までしばらくお待ちください。

著者プロフィール

THEMEDIA 編集部

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