「セーラー服ってパーツが多いな」 学校における制服への違和感

ドキュメンタリー映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』が話題を呼んでいます。

THEMEDIAでは、本作の主人公である小林空雅さんと高野慎太郎さん(自由学園教諭)との対談を企画。

第二弾の今回は、空雅さんの「中学時代」をテーマにお話をしていただきました

高野慎太郎さん(以下、高野) 映画にも描かれていますが、空雅さんの中学校生活はどのようなものだったのでしょうか。

小林空雅さん(以下、空雅) 中学2年の年明けごろに、学校から学ラン登校の許可がもらえました。そのあたりから、学校にフルで行くようになりました。

高野 それまでは、学校へ行くときはセーラー服を着なければならなかったわけですよね。中学1年、2年の頃は、学校とはどのように関わっていたのでしょうか。

空雅 中1、中2のときも部活には参加していました。授業には参加しないですが、部活が始まるぐらいの時間にこっそり登校するみたいな感じでしたね。

高野 部活は「よさこいソーラン」と「演劇」でしたよね。どちらも「表現」に関わる部活ですけども、どのような関心をもって活動されていたのですか。

空雅 もともと、演劇とかお芝居はやりたいと思っていました。「よさこい」は当時私が住んでいた団地のお祭りに、中学生が踊りにきてくれていたんです。そのステージを見て、めちゃくちゃ格好いい先輩がいて、その先輩みたいになりたいなと思いました。その先輩は私が中学に上がるタイミングで卒業してしまったのですが…(笑)。

高野 あらあら(笑)

空雅 今振り返れば、当時、私は体を動かして表現するということに興味があったのでしょうね。

高野 なるほど。その後も、空雅さんはいろいろな形で「表現」をされています。声優の仕事もそうだし、詩を書いたり、アクセサリーを作ったり。このあたりも後ほど伺ってみたいと思います。話が戻りますが、部活に参加するときは、ジャージとかスウェットみたいな服装で参加できますよね。でも、教室で授業を受けるときは、多くの場合は制服です。もしも、僕が空雅さんだったら、自分の性に合わない制服を着て授業を受けるのは苦痛に感じるだろうと思いました。制服についてはどのように感じていらっしゃいましたか。

空雅 そうですね、やはり中学2年生までは、制服で登下校しなければいけなくて、それはとても苦痛でしたね。

高野 やはり制服の問題は大きいでしょうかね。中学2年の年明けに、学ラン登校が許可されるまでの経緯は、どのようなものだったのでしょうか。

空雅 中学2年の10月から病院に通い始めまして、色々と診てもらう中で「性同一性障害」という診断が出ました。こういった経緯を担任の先生には話していました。ですので、診断書が出たタイミングで、学校の先生数名と私の母親と私とがお話をする機会を設けて頂くことができました。そこで、トイレや制服みたいな学校生活の面でのお願いを伝えしましたね。12月にその話し合いをして、年明けから諸々の扱いを変えて頂きました。

高野 その時のことを思い出すのは大変かと思いつつも、あえて伺わせて頂きたいのですが、セーラー服のような性自認に合わない制服を着なければならないということは、空雅さんにとってはどのような感覚だったでしょうか。

空雅 セーラー服については「パーツが多いなぁ」と思っていました。着替える作業が学ランに比べて、圧倒的に面倒くさかったですね。

高野 そうか、確かに手順がたくさんある。

空雅 これはうちの学校の場合ですけども、学ランを着るときには制服の下に体操服を着ることになっていました。だから、学ランであれば体操服の上にズボンを履いて、シャツをきて、学ラン羽織れば着替えは済むのです。でも、セーラー服だと、体操服着て、ブラウスをきて、スカートをはいて、しかも冬だったらジャンバースカートですし、その上からタイみたいなものをかぶって、チャックを閉めて、ボタンをつけて…というプロセスが面倒でしたね。

高野 なるほど、そういう物理的な違いは確かに重要ですね。

空雅 それに、セーラー服を着ると女子扱いされるじゃないですか。セーラー服を着て鏡の前に立って「自分可愛くないなぁ」と思うこともありました。なんか引っかかるというか、違和感を持ちながら自分を見ていましたね。

高野 なるほど。そういう違和感を持っている児童・生徒はたくさんいると思います。映画をみると、空雅さんの場合は、病院に通って、診断書が出て、学校との話し合いをもって、諸々の扱いが変わってという流れがとてもスムーズに進んだという感じがします。何か、工夫があったのでしょうか。協働できたのが良かったのでしょうか。

空雅 話し方や話の進め方としては、確かに私たちは高圧的にはならなかったですね。それと、通院したことなどは担任の先生には話していましたので、きっと担任の先生から養護の先生や学年主任の先生にもその話をしてくれていたと思うんですよね。だからスムーズに行けたのかもしれません。

高野 なるほど。ひとり一人の生徒にとって過ごしやすい環境をつくることは、学校の大きな役割だと思います。そのために、個々のニーズをよく理解して、丁寧に応じていくことが求められますね。

空雅 実は、私に関する扱いを変更する際には、職員会議でも色々な議論があったようなんです。「一人の特別な生徒の要望に応えることによって、他の生徒に悪影響を与えるんじゃないか」とか、「本人が迫害を受けるんじゃないだろうか」といった反対意見などもあったようなんですけども、結局、最後に変更を後押ししてくれたのは校長先生の一声だったようです。校長先生が「小林さんが着たいという制服で学校に来ることに何か不都合がありますか。生徒が通いやすい学校を作るのが我々の仕事じゃないんですか」と校長先生が言ってくれたようなんで、それで先生方の意識が変わった部分があるようです。

高野 多様性に理解のあるリーダーの存在は重要ですよね。多様性というのは、「知識」というよりも「生き方」の問題ですよね。つまり、多様性について知っているということと、多様性に基づいた生き方ができるということは、実はまったく別のことなのです。いま巷で話題のSDGsなども同じだと思いますけどもね。言葉だけ知っていても、まったく意味がない。でも、これは僕を含めて言うわけですけど、教員というのは頭でっかちですから、「知っている」というだけで、あたかも「そのように生きている」と錯覚しがちです。本当の意味で「生き方としての多様性教育」が求められているように思います。

対談者プロフィール

小林 空雅
Takamasa Kobayashi
13歳のときに心は男性、生物学的には女性である「性同一性障害」と診断される。
17歳のときに出場した弁論大会では、700人もの観客を前に、男性として生きていくことを宣言。
そして弱冠20歳で性別適合手術を受け、戸籍も男性に変えた。ドキュメンタリー映画「ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間」主人公
高野 慎太郎
Shintaro Takano
1991年、埼玉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学院修了。現在、学校法人自由学園教員(国語科)。埼玉県川越市社会福祉審議会委員、東京都東久留米市図書館協議会委員を兼任。過去に、埼玉県地域保健医療・地域医療構想協議会委員、埼玉県歴史と民俗の博物館協議会委員・博物館評価委員会委員、早稲田大学高等学院助手(情報科)などを歴任。

プロフィール

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