共同創発としての授業の価値―オンライン化が進むなかで―

・『子ども白書2021』が刊行されました。(2021年8月1日公刊)

・高野は「子どもの声を大切にするオンライン授業」という題で書かせて頂いています。

・度重なる緊急事態宣言の発令と、それに伴うオンライン授業の再開といった状況をふまえて、「オンライン授業」の在り方に関する具体的な内容を書き込んでいます。

・実は当初は「共同創発としての授業の価値――オンライン授業が進む中で」と題して、昨今のオンライン化の流れを授業論の立場から再考する原稿を用意していました。

・校正まで済んで、当初のリリース(チラシ)にもタイトルを告知していましたが、コロナ禍の状況変化をふまえ、直前で内容を差し替えたのでした。

・当初のリリースをご覧になった方から問い合わせを頂きましたので、こちらに原稿を掲載いたします。

「共同創発としての授業の価値―オンライン化が進むなかで―」

高野慎太郎(学校法人自由学園教諭)

いま求められる授業論

・Society5.0の到来を目前にして、教育は転換期を迎えています。AI(人工知能)やIoT(Internet of Things)に代表される新技術の発展に加え、昨年来の世界的なコロナ禍の進行が「授業」の問い直しを加速しました⑴。

・行政・現場のいずれからも新技術を活用した授業への転換が叫ばれていますが、こうした授業改革は本当に学びの構造転換の契機となり得るでしょうか。技術論に終始しがちな教育論議を見るにつけ、私は危惧を覚えます。

・Think Pedagogy First, Technology Secondの言葉どおり技術はあくまで道具に過ぎません。なのに、授業の「価値」――どのような授業を「善きもの」と考えるのか――に関わる議論は一向になされる気配がありません。ここに危惧の最たる所以があります。

・道具を使う人間の価値観次第で、新技術は画一的な学びの道具にも、多様な学びの道具にもなり得ます。授業の「価値」について、いま立ち止まって考える必要があるのです。

中動態的なカリキュラム創発

・「教育新聞」での授業論連載のなかで、私は「コンテクスト至上主義」の立場を強調しました⑵。コンテクストとは、生育状況や興味・関心、既有経験や既有知識などを含めたその人が持つ「統合的な文脈」のことを指します。

・子ども・教師・保護者が持つ「文脈」に加えて、社会的な文脈や歴史的な文脈が混淆(混ざり合い)し合うことによって、新たな固有の文脈が紡がれていくこと。この点に授業という場の本質があると私は考えています。

・その際に問題となるのが子どもと教師の関係性です。「教える・教えられる」という権力関係のなかでは、様々な文脈が混ざり合う隙間がありません。「中動態」の観点から関係性を再定義する必要があるでしょう。

・中動態は「能動・受動の区別を越えた構え」を意味しており「創発に向けたアフォーダンス」として機能します⑶。例えば「武道」は中動態的です。剣道の試合で「一本」が決まるとき、そこには能動(仕掛ける)・受動(仕掛けられる)の区別がありません。

・より具体的には、静的な状況から動的な状態へと文脈が切り替わる瞬間に「一本」という状態が生じるのです。こうした偶発的な文脈転換のことを創発emergenceと呼びます。創発は予測することも定式化することも不可能ですが、「中動態」によってアフォードすることはできます。

・授業という行為もまた創発的現象です。なぜならば、授業とは、単一主体(教師)による開発・設計の産物ではなく、複数の文脈が中動態的に混淆した帰結(カリキュラム創発)として捉えることができるからです⑷。

混淆による行為的直観

・中動態的な授業実践を教育史のなかに探るとき、まずあげられるのが大村はまの実践でしょう。師範学校で教わった教育理論が全く通用しないような状況と混淆したことによって「単元学習」の実践が創発されました。

・大村流の単元学習では、子どもの関心そのものが教材化されます。そのため、教師が発題するテーマは単一であっても、教材は生徒ごとに多様となります。こうした単元学習論を大村は「教えながら教えられながら授業をつくる」という中動態で示したのでした⑸。

・あるいは、文字も読めない子どもと若い教師たちのあいだに創発した「北方綴方」の実践を参照することもできるでしょう。作文に綴られた貧困の惨状に突き動かされた綴方教師たちは、作文指導を越えて職業指導の創立へとさらに歩みを進めていったのでした⑹。

・教科書を機械的にこなすだけの網羅的授業であれば、新技術に代替されるのは時間の問題です。一方、AIに困難なのが拡張的推論abductionです。複雑系の領域へと踏み出すことは、いまのところ人間にしか成し得ません。

・先述の教師たちは目の前の「状況」と混淆することによって、本人もまるで想定しなかった方向へと踏み出していきました⑺。状況との混淆によって本質を直観する構えのことを「行為的直観」と呼びます。哲学者の西田幾多郎によれば、それは既決の状況のなかから未決の未来が創り出される過程(作られたものから作るものへ)であり、「ポイエーシス的自己の過程」にほかならないのです⑻。

共同創発の場としての授業

・文脈が混淆するところに、行為的直観がもたらされます。この視点から授業を捉えてみると、どうなるでしょうか。文脈との混淆を通して、参加者が共同的に自己創発に参画する場として授業を捉えることが出来ないでしょうか。「相互作用」に関する心理学理論(活動理論)を迂回して、この点を説明します。

・活動理論の最新モデルに、Y・エンゲストロームによる「第三世代」モデルがあります。過去の活動理論が、単一で能動的な主体を想定してきたのに対し、第三世代モデルは複数の中動態的な主体を想定する点が特徴です⑼。

・複数の主体が出会い、相互作用を及ぼし合うことによって「拡張」という現象が起こると説明されるのです。「拡張」については、「新たな活動対象の創出」や「境界横断」といった術語で示されていますが、これまで検討してきた「創発」のことと捉えて良いでしょう。

・活動理論における「創発」とは、相互作用のなかで新たな自己の役割が発見される現象であるとともに、新たな活動を生起せしめたという端的な事実性によって参加者の「存在」そのものが肯定されることでもあります。

・相互に働きかけつつ交わり、その帰結としてのカリキュラム創発が生ずるということは、子どもと教師が紛れもなくそこに「在る」という事実を肯定的に意味します。授業という場において、子どもと教師はともに働きかける存在、共同現存在として「創発」という創造的営為に相互作用的に関わるのです。

・授業は共同創発の場である――これが現時点での私の結論です。この考えに基づいて新技術もふんだんに取り入れます⑽。無論、これは何ら普遍的な結論でもありませんし、ご批判もおありでしょう。ただ、大事なことは、どのような授業が「善きもの」なのか。このことを絶えず問い続けることでしょう。本稿がそうした議論のための材料となれば、著者としてこれにまさる喜びはありません。

  1. 中央教育審議会「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して(答申)」2021.
  2. 高野慎太郎「言語活動は言語生活へ」『教育新聞』教育新聞社,2020年11月30日.
  3. 高野慎太郎「中動態的な授業の視点」『教育新聞』教育新聞社,2020年10月14日.
  4. 高野慎太郎共著「生徒と教師の中動態的関係によるカリキュラム創発・実践の分析」『生活大学研究第6巻第1号』学校法人自由学園最高学部,2021.
  5. 大村はま『教えながら教えられながら』共文社,1989.
  6. 三村隆男『書くことによる生き方の教育の創造』学文社,2013.
  7. 高野慎太郎「第三局面にある教師キャリア論」『早稲田キャリア教育研究第12巻』早稲田キャリア教育研究会,2021.
  8. 西田幾多郎 「行為的直観」(『全集第8巻』岩波書店,2003),「自覚について」(『全集第9巻』岩波書店,2004).
  9. ユーリア・エンゲストローム(山住勝広 ほか訳)『拡張による学習』新曜社,1999.
  10. 実践事例について、例えば以下をご参照ください。「ネットで中傷 理解深め削減へ」『毎日新聞』,毎日新聞社,2020年11月2日.

たかの・しんたろう 早稲田大学教育学部卒業,同大学院修了.学校法人自由学園教諭.近著に「遠いからこそ近い―コロナ禍によって紡がれた留学生との物語」(『海外子女教育 2021年4月号』)ほか,寄稿・論文多数.

『子ども白書2021』

編纂:日本子どもを守る会 / 出版:かもがわ出版 / 発行:2021年8月1日

プロフィール

高野 慎太郎

1991年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院教職研究科修了。早稲田大学高等学院助手を経て、中国・安徽大学外語学院客員講師、自由学園女子部中等科・高等科教諭。