「子どもの貧困をどう考える」子どもの貧困シンポジウム副実行委員長にきく

Interviewee Profile

高野 慎太郎/Shintaro Takano 1991年,埼玉県川越市生まれ。早稲田大学教育学部卒業,同大学院修了。現在,埼玉県川越市社会福祉審議会(児童福祉専門分科会)委員,埼玉県地域保健医療・地域医療構想協議会委員,学校法人自由学園教員など。「なくそう!子どもの貧困 川越シンポジウム」副実行委員長。過去に,早稲田大学高等学院助手,国際キャリア教育学会大会運営委員,日本キャリア教育学会大会運営委員長などを歴任。

いま、日本では7人に1人の子どもが貧困状態にあるとされている。こうした厳しい状況に、私たちはどう対処することができるのだろうか。埼玉県川越市では、行政と市民とが協働して、5月26日に、子どもの貧困シンポジウムを開催する。副実行委員長を務める高野慎太郎さん(27)は、「政府や行政に頼りきりになるのではなく、自分たちでできることはしよう」と語る。子どもの貧困シンポジウムの意義を聞いた。

幸田  全国的に子どもの貧困が問題とされている中、川越市でそういった活動を行おうと思われたのはなぜですか?

高野 まず、個人的な話をさせて頂くと、大学生の頃から川越市内の社会活動に関わるようになりました。図書館、社会福祉、動物愛護、環境保全など、内容は多岐にわたりますが、どれも地域コミュニティを創造する方向性で、子どもの貧困に関する今回の活動も、そうした方向性に連なります。1991年に生まれて、ずっと川越で育ちました。2005年に重要無形民俗文化財となった川越祭りなど、川越にはたくさんのお祭りがあるので、幼い頃から関わって来ました。踊りや太鼓の当番に駆り出されるオモテのプログラムだけではありません。友だちと連れ立って祭りの前夜に街に行き、テキ屋さんたちの仕事を見ていました。テキ屋の親分が「あんたはここ、あんたはあっち」と出店の「仕切り」をする場面に立ち会い、色々と遊ばせてもらいました。高校からは都内の学校です。卒業論文のために、新宿周辺のフィールドワークを行ったのですが、友人の中には危険性を心配する人もいましたが、川越の雑多な環境で揉まれて育ったことが、先のわからない世界に踏み込むための後押しとなりました。他にも、中学生の時に、姉妹都市のアメリカオレゴン州に公費留学させて頂いたりしていて、広い意味で川越にお世話になった感覚があるので、川越の外に出て学んできたことを使って、何かできないかとぼんやりとは思っていました。そうした感覚を強く持ったのは、やはり大学生のときです。僕が大学生となった2010年前後は、川越という街にとっての転換期でもありました。市内の死亡数が出生数を初めて上回ったのが2012年。社会増減についても、市街化調整要件の変更による微増傾向にあったのが、2010年前後の政策転換で減少に転じて来ました。人口減少によって川越という街が少しずつ萎んでいくイメージを持ち、何か出来ることはないのかと真剣に考え始めました。自分が親になったことも、影響しているかもしれません。幼稚園から同じだった幼なじみと学生結婚し、子どもを授かり、文字通り川越で子育てをすることになりました。川越という街のこと、子育てのこと、福祉のことが「他人事」では済まなくなってきたということです。

幸田  川越市で実際に起きている状況を教えてください。

高野 人口でみれば、社会増によって近年はトータルでの微増を保っていますが、転入者が増加するということは、共同体の持続のための工夫が必要になるということです。新規参入者が加わりやすい土壌を整備していくことが課題となっているように思います。

子どもの貧困についても、実態調査が進められていますが、現時点では、結果の全体像は公にはなっていません。部分的な情報から類推するに、人口の約1割程度が困窮層、約2割が貧困周辺層、あわせて約3割が要手当層ではないかと予想しています。川越の持つ地域性がこうした層に対する有効な手当となっているかというと、微妙です。

川越には、いわゆる市街地と郊外との分離があります。統計をみると、「川越に満足していますか」という質問への回答に、そうした地域差が如実に現れています。発展していく市街地と取り残される郊外との対立です。郊外に住んでいる人は、いわゆる川越と呼ばれる市街地と地続きの感覚は持っておらず、市街に出かける際には「川越に行ってくる」という言い方をします。

市街地の中でも、市外から引っ越してきた人々と元々住んでいた人々との関係性の問題もあります。引っ越してきた人々にとって、地域自治会は閉鎖的で入りたがりません。すると、川越祭りで誰がみこしを担ぐのか、誰がお囃子をするのかといった部分で、自治会に属さない人々は取り残されていきます。「川越に住んでいても、同じ川越を生きていない」という事態は、極めて危険です。放って置けば空洞化する地域の共同性を、いかに持続可能なものにするかが課題ではないでしょうか。子どもの貧困についても、僕はこうした文脈で捉えます。

幸田 実際にどのような活動をされているのですか

高野 「なくそう!子どもの貧困 川越シンポジウム」は2018年に始動しました。行政が子どもの貧困調査を本格的に開始した時期に重なります。子育てに関わる会議に出るなかで、行政の皆さんが日夜、多大な努力や工夫をされていることは僕なりに知っていました。ですので、行政として本格的に子どもの貧困に取り組むと聞いて、市民の側にそれを補完する動きを作れないか思案しました。そこでご相談したのが圓岡徹哉さんです。圓岡さんは、長いあいだ保育園行政に関わる活動をされてこられました。すぐに意気投合し、二人で共同呼びかけ人となって賛同者を募りました。

「子どもの貧困について皆さんで考える場を作ろう」というのが当初の趣旨です。ただ、そのために、まずは知識を深めよう、議論できる知識を仕入れようということで、勉強会を始めました。第一回は2018年の11月25日に行いました。議員さんをはじめとして、保育士さん、育児院の院長さん、障害者団体の会長さんなど、約30名の方が集まってくださいました。初回ワークショップの講師を務めた僕はつい気合いをいれすぎてしまい、グローバル化から補完性原理まで、背景分析から対応策まで、国内外のあらゆる文献を駆使して20分のレクチャー。参加者の皆さんの呆気にとられた表情を見て、冷汗を流しました(笑)。

ただ、皆さんが勉強する動機を持ってくださったのがありがたかったです。日々の合間を縫って、研修会や講演会に参加したり、膨大な量の読書をしたりして、徐々に、勉強会では、参加者の皆さんが資料や話題を持ち寄って議論をするようになりました。

議論のなかでは、社会保障をどう捉えるか、行政の役割をどう捉えるかなどの論点で、参加者の意見が対立することもあります。それでも、様々に意見を交わして、共に学んでいくプロセスこそこの勉強会の趣旨ですので、対立は全く問題ありません。できるだけ広く、多様な意見を持つ人に関わってもらい、共に地域を支える意識を共有する、この繰り返しです。

幸田 今回開催されるシンポジウムはどのような内容になっているのですか?

高野 まず、前述の川越市の子どもの貧困実態調査の結果について、政策担当の方からお話して頂きます。川越の子どもの貧困について公式の解説がなされるのは、おそらくこのシンポジウムが初となると思います。

高野 まず、前述の川越市の子どもの貧困実態調査の結果について、政策担当の方からお話して頂きます。川越の子どもの貧困について公式の解説がなされるのは、おそらくこのシンポジウムが初となると思います。

シンポジウムの大きなテーマの一つは、「つながり」です。つながりを作る場として、我々は「子ども食堂」に着目します。これまでの勉強会のなかで、子ども食堂を始めたいとか、実際にやり始めた方が少なからずいました。そのような中で議論しておきたいのは、「子ども食堂の意義って何だろうか?」ということです。

絶対的貧困に晒されている地域では、食料支援が一次支援として不可欠です。もちろん、日本でも絶対的貧困があることは忘れてはなりません。ただ、関係性の貧困や相対的な剥奪感が大きな課題となっている日本では、むしろ、子ども食堂をテコにしてコミュニティを立ち上げる方向性、あるいは、子ども食堂に集う人々がプロジェクトを立ち上げて、独自の価値を創り出していくような場所として「子ども食堂」を構成できないかと考えています。こうした議論も踏まえ、シンポジウムでは、実際に子ども食堂を始めたメンバーが現状報告をします。

記念講演では、青砥恭先生にご講演頂きます。青砥先生は、長く埼玉県の公立高校の教員を務められた後、高校中退者や貧困家庭の支援のためのNPOを立ち上げ、さいたま市を基盤とした活動を続けてこられました。子どもの貧困の現場を誰よりも理解しておられる方です。ぜひ、皆さんに青砥さんのお話を聞いていただきたい。

余談ですが、2016年に早稲田大学で「不登校と社会正義」というシンポジウムを企画したことがあります。そのときに真っ先にご登壇をお願いしたのが、青砥先生でした。ただ、その時は数年後まで予定が埋まっておられて、登壇が叶いませんでした。今回、テーマも場所も違いますが、時を経ての登壇をご快諾いただきました。青砥先生も僕も、ずっと同じような文化圏にいたという気がして、何だか不思議な感覚です。

幸田 さいごに、ひとことございましたらどうぞ

高野 国や地方自治体に財政的な余裕がなくなり、多様な個人に対する十分な対応ができなくなっているという現実は、どの地域においても似通っていると思います。行政に対して必要な要求をすべきはもちろんのことですが、「ないものねだり」をしても話は始まらず、結局は不幸が増えるだけです。ぜひ、徹底した現実理解のもとで、地域共同体に何ができるのかを見定め、長い目で未来を見据えて行動していきましょう。ぜひ、川越市民の方には来ていただきたいですし、市外・県外の方も、川越というケーススタディに参画して頂き、皆さんの地域の活性化に活かして頂きたいです。若い人にも、関わっていただきたいですね。地域づくりのためのメソッドが共に学べるのではないでしょうか。巷ではSDGsが花盛りですが、<社会の持続可能性を支える人を育てる>が教育の不易の社会的役割でした。自己言及的に記せば、このインタビューもそうした役割の一環なのです。ですよねっ、幸田くん(笑)。

プロフィール

幸田 良佑

2003年、山梨県生まれ。自由学園卒。東洋大学社会学部在学中。貧困や格差、教育問題に関心を持ち、フィールドワークを展開。 2021年に特定非営利活動法人TENOHASI 入職。2022年、特定非営利活動法人わかちあい練馬 設立。格差、貧困問題に支援の立場から関わる。